3/11に東北をはじめ全国を襲った 東北地方太平洋沖地震。まずは犠牲になった方たちに哀悼の意を捧げます。そして被災され現在も必死に現地で暮らしていらっしゃる方たち、それを全力で支援しているすべての人たちに敬意と感謝の気持ちを捧げます。わかってるよ!と思うかもしれませんが、がんばってください!
地震が発生してからは、ずっとTwitterで情報収集や友人知人・家族との連絡をしてきました。無事を確認できたいつもの仲間たちとも、今日あたりからやっと楽しい話が出来始めましたが、そんなTwitterのタイムライン上に、海外在住で日本の現状とご自身の安全な身の上を重ねて、忸怩たる思いをされている方が何人かいらっしゃったので、このエントリーを書こうかなと思いました。そう思う気持ちは解る気がします。自分もきっとそう思うでしょう。
私が住んでいる山梨県東部では、地震の数値は震度5強。かつて体験したこのない長さと質の揺れに、一緒に店番をしていた母は腰を抜かしてテーブルに這って潜り「助けて!」と叫びました。しかし家の中はこれといって倒れたり壊れたものもなく、発生直後から続いた停電も市内全域までには及ばず翌日朝には復旧、今日までのところ近所を見回しても大きな被害を被ったお宅はないようで、地震発生の翌日からはほぼ通常の生活に戻っています。
昼食時には、電気が復旧して普通にご飯が食べられる喜びを感じましたが、TVで次々と報道される津波や壊れた家屋、被災者の方たちの大変な姿を見て何度も箸が止まりました。そして、発生直後からTwitterを追うことをやめられず、車の運転や外での接客仕事で数時間見られない事をのぞいては、ずうっとiPhoneやPCの画面を、気がつくと物凄い集中力で読み耽っています。
自分があの海沿いの街に住んでいたらどうなっただろう、いまこうして暖かい部屋で呑気に飯食ってて申し訳ない、コンビニやスーパーで「品物が少ないなあ」と口に出してからハッと我にかえって首を振ってみたり、夜は節電して寒い部屋で過ごしながら現地の寒さをすこしでも想像してみたり。
こうした誰も悪くない自然災害のなかでは、場所やタイミングのおかげで幸いにして生きながらえた人は、すべからくこうした罪悪感や無力感に苛まれるのだと思います。想像と現実の間には埋めようのないギャップがあるでしょうが、まったく揺れを感じない遠くに住んでいる人も、眼下で流れ去る我が街を目の当たりにした人にもそれは等しくあるのだと思います。
だから、遠くのひとはそのことで自分を責めないで欲しいし、いま寒空の下で今日を生き延びている人たちも、まずはご自分が生きていることを全力で肯定してもらいたい。そのどちらでもない中途半端な場所にいる自分は、何不自由のないこの場所でそんなことばかりを考えています。3月11日のあの時間に好きな場所に居られるから選べと神様に言われたら?、海外に居たいか?、停電のない隣の市に居たいか?、すべての交通が麻痺した首都に居たいか?、M9の揺れの中に居たいか?、あの港町に居たいか?...。
これは日本という国と、それを構成する国民すべてが受けたひとつの大きな傷だと思います。程度の大小なんてない、みんなが傷の一部だから、みんなでくっつかないと治らないと思うのです。私は傷がくっつく努力を少しずつしていくつもりです。さてなにができるだろう?ゆっくりじっくり考えます。